ウェットでワイルドな二日間 / デウス バリ
ここバリで、雨季のためにすっかり身動きがとれないでいた。ここ数週間は、バケツをひっくり返したような雨もしばしばだった。海岸への旅に出るときには太陽が顔を出してくれればと、僕らは強く願うばかりだった。朝4時に目覚ましをかけた。夜明け前の暗闇の中で座ってコーヒーを飲んでいると、稲妻がピカッと光り居間を照らす。一瞬白黒写真のように時を止めたかと思うと、次の瞬間には暗闇に戻る。あまりいい予兆ではない。少なくともまだ雨は降っていないが、良い見通しとは言えなかった。だけど僕は楽観主義者だ。
早朝5時にデウス・テンプル・オブ・エンシュージアズム(Deus Temple of Enthusiasm)に集合した時には、先程の雷雲は遠ざかっていた。人生初の経験だと思うが、全員が僕より先に到着していた。それだけじゃない、みんな出発する準備もできていた。
顔ぶれは全員で10名。Deusのヴィンテージモトクロスに乗るのは、Deusのサーファー、デニ(Deni)、ディーン(Dean)、アヨク(Ayok)の3人。ディディット(Didit)、マリオ(Mario)、ライアンディ(Ryandi)、ナンダ(Nanda)は全員カメラの担当。このページに掲載している写真のほか、今後公開されるサプライズビデオをレンズに収める役目。アーウィン(Arwin)とココ(Kokoh)は僕らの貴重なメカニックであり、サポートカーのドライバーでもある。最後に、忘れてはならないのがフルサービスツアーガイドを務める僕だ。
自分と仲間のボードをバンの屋根に載せ、くくりつける。夜明けの光が地平線に差し始めると共に、僕らはバイクにまたがり、走り出した。タバナンの分岐点で僕らはバンと分かれた。2ストのバイクとサーフボードを載せたバンは道路を真っすぐ進み、バイクの僕たちは左に曲がり、野原を突っ切る景色の良いルートを通っていく。この頃には、雷雲の影はすっかり見えなくなっていた。
僕らは海岸に向かって突き進んでいった。道は空っぽで、バリの野良犬がわずかばかりと、市場に向かうおかみさんが数人見られるぐらいだ。あらゆる裏道、轍道、近道を通りながら、最高に楽しい時間を過ごした。民家が遠ざかり、水田ばかりが広がるころには、太陽が椰子の木の上に来ていた。僕らが集合場所の村に到着するのと同時にバンも到着したので、運転手を務めるメカニックのアーウィンとココは、ラリーチームさながらにドライビングしてきたに違いなかった。
さあ、バイクを乗り換える時間だ。バンの荷室から2ストを下ろす。準備をしてキックでエンジンをかけて、あっという間に水田に戻っていく。撮影にはもってこいの朝日だった。僕らは来た道を通って、数時間あちこちを勢いよく走り回った。太陽がすっかり真上に上り、暑くなるころにはすっかり疲れて汗だくになり、何よりも腹ペコになった。
クルーが休んでいる間に、僕はみんなでブランチをとれる場所を探しに出発した。このあたりの村で期待できるのは、道端の店で売っているナシブンクス(バナナの葉や紙に包んだインドネシアのお弁当)か ポップミー(インスタント麺)に、インスタントコーヒーと甘いお茶くらいと考えていたが、それすらも見つからない。知らぬ間に人がよく通る道を外れて、バリの昔ながらの地区に足を踏み入れていたようだ。
でも小さな村なので、しばらく走っていると小さな脇道に出た。道端の小さなカフェの店先で地元の男性がにこにことコーヒーを飲んでいる。これだよ、探していたのは。
騒々しい一団のもとへ戻るまで合計40分もかかった。カフェは民家の通り側に立てられたものだった。僕らは薄暗い部屋の中を通って、日の当たる庭へと案内された。テーブルが引っ張り出され、椅子もかき集められ、僕らが注文すると、大家族の全員が招集されて、キッチンへとあわただしく吸い込まれていった。料理が次々と運ばれてくるなか、うまい料理に満たされて疲れとイライラはどこかへ消えていった。あの庭の木の下で食べた料理は本当にうまかった。食後のコーヒーを注いでもらいながら、店主に赤いつり橋への道順を教えてもらった。僕らはそこらに散らかしていた服をかき集め、食べ物をたらふくつめこんだ体をバイクに引きずり戻して、つり橋を目指して出発した。
案内通りの場所につり橋はあった。熱帯の楽園を横切る、バイク1台分の幅のこの素晴らしい赤い橋を1~2回走行することができたが、通りがかった地元の人に撮影をやめるよう求められた。この橋は、お寺の正殿や埋葬地、火葬場に隣接しているということだった。その人は、ここで撮影をするにはバンジャール(町内会)の許可が必要であるということを丁寧にだが、はっきりと伝えてくれた。というわけでお開きだ。
バンへ戻り、2ストを積み込み、ハイウェイへと向かった。ギリマヌク港への道は死と隣合わせだ。寝不足のドライバーたちが運転する過積載のトラックの間を器用に縫いながら、西へ向かって高速で走らなければならない。気弱な人にはお勧めしないルートだ。
その午後は、ハイウェイの向こう側の丘のふもとに広がるゴムの木の森へガイドしてもらう男と待ち合わせることになっていたのだが、ホテルの駐車場に着いたところ、誰もいない。彼が到着するまで数時間つぶさなければならなかった。暑苦しいライディングギアを脱いで、飲み物を注文した。何人かはビーチまでぶらぶら歩いていって、午前中に体にこびりついていた泥を海で泳ぎ落とし、他の何人かは横になって休んでいた。カメラを整備し、メモリーカードを空にし、バッテリーも充電。その間ずっと雲が迫って来ていて、雷の音が大きくなってきていた。
ガイドが到着して、「準備をしろ、寝ている奴は起こせ」とまくしたててくる。海岸沿いを離れて曲がりくねった道を進んでいったが、ゴムの木の森まではすぐだった。バンの荷室から2ストを下ろし、エンジンをかけ、冒険を求めて森の中へと疾走していった。5分も経たないうちに、ぬかるんだヒルクライムに行き当たった。それから1分も経たずに雨が降り出したが、若い連中は思いとどまるどころか、自分たちの腕前やバイクを試さんとばかりに滑りやすい急坂を走り続けていた。誰もが坂にこてんぱんにやられ、頂上までたどり着いたのはディーンだけだった。ついには雨が本降りになってカメラ機材をしまわなければなくなり、バンに引き返して、リヤゲートを開けた状態で雨宿りをした。
座って待つことわずか10分。デニはもうじっとしていられず、「パック、俺走ってきてもいいか?」と歩き去りながら肩越しに大声で伝えてきた。DTにまたがってエンジンをかけたかと思うと、あらゆる水たまりや泥沼を突っ切って野原を駆け回った。アヨクとディーンもじっとしているわけがなかった。3人が走り回るなか、クルーはバンの後部から撮影するか、ビニール袋を使って即席のボロ傘の下から撮影するしかないと判断した。
雨が弱まってきた。正常な判断とは言えないが、僕らはさらにゴムの木の森の奥深くへと入っていくことにした。もう既にずぶ濡れなのだから、これ以上濡れることなんてない。ホントにずぶ濡れで、びしょびしょで、泥だらけの一日だったよ。茂みの中のタイヤ幅しかない水浸しの小道を行ったり来たりし、滑り台さながらのヒルクライムに挑み、2ストで超えられる限界サイズの小さなジャンプ台を追い求めた。DT100が2台にYT115が1台。僕らのほとんどがまだ生まれてもいなかったころに作られたバイクで駆け回る。全員がアマチュアのライダーだ。午後はずっと雨が止むことはなかったが、一貫していたことは、素晴らしい体験だったこと!
日没、寒さ、バイクのコンディションの悪化。順不同ながら、この3つがこの日の遊びに終わりを告げていた。荷物を全てバンに積み込むと、はまっていた泥沼からバンを押し出し、舗装道路までぬかるんだ山羊道を押さなければならなかった。そして海岸へ、浜辺のホテルへの帰路についた。
ブーツもなにもかも、すべてのライディングギアを身につけたままシャワーを浴びた。何よりもまず、泥の層を落とさなければならなかった。ライディングギアを絞って干した。仲間が一人また一人とシャワーを終えるごとに、服、ブーツ、ヘルメットなどの装備があちこちに吊るされて、ホテルの部屋は中国人が経営するランドリー店さながらの様相になっていく。とはいえ、申し分なく素晴らしい一日を締めくくるのに温かいシャワーはこのうえなくありがたかった。
夕食は会話も弾まず静かに行われた。くたくたに疲れ切っていたのだ。黙々と食べ、せいぜいビール1、2杯飲んだらベッドに入るなり気を失った。
僕は日の出とともに起きてせっせと働いた。ビーチへ向かうために、まずみんなを起こさなければならない。起き抜けに動けるのはどうやら僕だけのようだ。地元民のクルーは、この時間はまだエンジンがかからない。僕はせかせかと扉を叩いて回り、仲間を揺り起こしながら、自分はツアーガイドになるべきかもと思った。
やっとのことで仲間を起こし、筋肉痛の体を引きずった眠そうな目をした6人ほどが水際に並び、ラインまでパドリングしていった。良い波とは言えなかったが、ボロボロのコンディションの僕らが一日を始めるのにはぴったりだったし、この時間はビーチ全体が貸し切り状態だった。
サーフィンは長くは続かず、腹が減った一人が岸に上がり、そして残りも岸に上がった。控えめに言っても、朝食はかなり大規模なイベントだった。僕らは1時間以上も食べ続けた。誰もがたらふく食べたと言っていいだろう。その後は誰もが腹一杯になってベッドかソファに身を沈める始末。
アーウィン、ココ、そして僕はその間にバイクを洗い、2ストも応急修理を行った。全てを可能な限り綺麗にし、最善の修理を施し、再びバンに積み込んだ。他の仲間もゆっくりと夢の世界から現実に戻りつつあった。あちこちで乾かしていたライディングギアをかき集めて、人も持ち物も全部確認できところで、ハイウェイに引き返した。今度は家路へと。
死のハイウェイを20分ほど行ったところで右折し、ビーチへと続くあぜ道を進んだ。海岸沿いの古いココナッツ農園を走り回り、空っぽの黒砂のビーチに出た。スピードラン、バイクサーフィン、ウィリー、ドーナツ。みんな思い思いに遊んで、何度もコケた。自分たちが何をしているのか誰もはっきりとわかっていたわけではないけれど、そんなことはどうでもいい。とにかく楽しかった。陽が傾き、2ストのエンジンがプスンと止まり、周囲の牛が一匹残らず怖がって逃げるまで僕らの曲乗り大会は続いた。
夕暮れが近くなり、家路につくときだ。僕らは再びバンに荷物を積み込み、ハイウェイに乗り、右折して来た道を戻った。橋を渡り、田んぼに囲まれた単線道路を通り、この日最後のピットインだ。ここはバビグリン(豚の丸焼き)を出す、アヨクのお気に入りの店だ。やっぱり地元民のおすすめにかなうものはない。
温かい料理が盛られたプレートによく冷えた飲み物。そして、この2日間を振り返るトークに花が咲く。天気は良くなかったものの、それが足かせになることは何もなかった。全体的に素晴らしい週末旅行だった。バイクの若干の破損をカウントしなければトラブルもなかった。怪我もなく、新旧の素晴らしい仲間とともに過ごすことができた。最後にもう一度、僕はバイクのエンジンをかけ、仲間を見回して、フルフェイスの中で笑みを浮かべた。そして、アクセル全開でレストランの駐車場から出た。次の目的地、家へ向かって。
CAST & CREW
Rider – Deni Pirduas
Rider – Dean Permana
Rider – Ayok Dharma
Photo – Didit Prasetyo Adiwibowo
Photo – Mario Stefanelli
Film – Achmad Ryandi Dwinanda Aldyan
Mechanic – Arwin Kokoh
Full service tour guide – Dylan Kaczmarek