Tetsuya Ogawa Designs for Deus SurfCraft

Tetsuya Ogawa Designs for Deus SurfCraft

Tetsuya Ogawa Designs for Deus SurfCraft
小川徹也 x デウス サーフボード販売のお知らせ 

 

日本を代表するスタイルマスター小川徹也とデウスとのコラボレーションによる新しいサーフボード5モデルの発売を開始いたします。

アウトローなイメージと優雅なクラシック・スタイルが見事に融合する唯一無二のサーフスターが、満を持して自身の生き様を込めたモデルを手がけました。  サーフボード・ビルダー小川徹也の世界を体感し、その独自のスタイルと卓越したクラフトマンシップをぜひご堪能ください。

発売開始日 8月8()
取扱店舗 デウス エクス マキナ 浅草 
東京都墨田区向島1-2-8 東京ミズマチ® ウエストゲート5.11am-7pm 年中無休
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 Resolve・覚悟 

ジョエル・チューダーの登場によって生まれたロングボード・リバイバルの波は、ケリー・スレーターという怪物級のコンペティターに先導されるように進化し続けたサーフィン界に、カウンター・カルチャーとして新たなる可能性とチャンスを芽吹かせた。それはこの日本においても同じだ。1995年、日本初のロングボード専門誌として創刊された『NALU』は、その胎動を上手く捉え、忘れ去られていたサーフィンの原点をアカデミックかつスタイリッシュに魅せることで、瞬く間に多くの読者を獲得し新たなる潮流を生んだことは間違いない。ジョエル・チューダーとドナルド・タカヤマというアイコンを浸透させ、諦めかけていたオールド・サーファーたちを海に引き戻し、桝田琢治や宮内謙治やデビッド木下といった、その後の日本におけるロングボード・シーンを牽引するサーファーたちをフィーチャーした。しかしそれはあくまでもロングボードという、忘れ去られていた(乗り物)が復活した現象に過ぎない。真のクラシック・ムーブメントはやはり、マット・ハワード、ジョシュ・ファブロウ、ブリタニー・クィン、ジミー・ガンボア、ケビン・コネリー、タイラー・ハジーキヤンそして若きデーン・ピーターソンらが、真っ黒なウェットスーツに身を包み、60年代の重たいシングルフィンを持ち出して、優雅にマリブの波で舞って魅せた、あの90年代後期に起こった出来事だろう。

2001年、国内プロサーキット内にロングボード・デビジョンが創設されて10年という節目の時、シーンをリードしていた桝田琢治を相手に、圧倒的なクラシック・スタイルを魅せつけたロガーがいた。(イン・ザ・ピンク)がボードデザインのトレンドだった時代に、まさしくあのマリブから興ったクラシック・ムーブメントのように、たったひとり重たいシングルフィンに乗り、圧巻のノーズライディングと誰も真似のできないクラシック・スタイルで勝利を勝ち取った。それが小川徹也が日本のサーフシーンに登場した瞬間であるとともに、日本におけるクラシック・ムーブメントが、本格的にシーンの中心になっていく象徴的な出来事だ。それ以来、日本のロングボード・シーンにおいて唯一無二の存在感を彼は示し続けている。

小川徹也の存在感とはいったい何か。それは間違いなくそのキャラクターと人間性にある。ノーズライディングで言えば天才の部類に入るだろう。そのポテンシャルに人間性が加わり、それが唯一無二のスタイルを形成する。それはまさに彼の魅力そのものだろう。

川崎の不良が渋谷に流れ、いつしか渋谷が自分の居場所になった。生まれは由緒ある鳶の家系。あまりにも問題が多かった時期に転がり込んだ小笠原への逐電の話。逃れるようにして向かった小笠原で、小川徹也はサーフィンを始めた。およそ三年の間、楽園のような環境の中でサーフィンをした体験が、本土へ帰ってきてからも忘れられるはずがない。週五で鳶として働きながら、休みの日には海へ通う。サーフィンに対する気持ちが膨れ上がり、気持ちと環境とのズレの中で、いつしか溜め込んできた想いが一気に爆発した。貯金を全て引き出し、荷物とサーフボードを抱えて夜中のうちに家を出た。つまり夜逃げだ。

サーフィンがしたいというその想いだけで走り出し、いつしか辿り着いたのが千葉県太東海岸。今でこそクラシカルなロングボード・スポットとして知られるが、彼が辿り着いた頃はまだプログレッシブやハワイアンスタイルが主流であり、クラシックはほぼ皆無に等しかった。そんな中で、夜逃げ道具のひとつとして持ち込んだハップ・ジェイコブスのボードでひたすらノーズライディングに明け暮れた。全てを捨てて、サーフィンを選んだ。そんな姿が目に止まり、ロバート・オーガストのライダーを経て、太東海岸の老舗であるタニー・サーフで吉川Tappy拓哉との運命的な出会いを果たす。そしてこの二人を中心として、様々なサーファーが集まり、コンペティションとショートボードのメッカだったこの太東エリアに、まるでその進化に反発するかのように、クラシック・ムーブメントの根が広がってゆくのである。小川徹也は、間違いなく太東海岸の歴史において、クラシックというカルチャーを頑ななまでに自らが表現者として体現することによって根付かせたサーファーである。

そんな小川徹也が、ついに自らの手で、最初から最後までたったひとりで作り上げたサーフボードをローンチする。そこに込められた想いは、繋がりであり感謝であり、それでいてどこまでも揺るぎのない自らの生き様だ。自ら退路を断つ覚悟と言ってもいい。そしてその覚悟を、否応がなしに彼に迫ったのは、他でもない、生涯の相棒である吉川Tappy拓哉だった。おそらくは未だに小川徹也こそがTappyのボードを日本で一番触れてきたサーファーだろう。誰よりもシェイパー吉川拓哉を知る男でもある。だからこそ、彼らの関係性を他人が勝手に形容することは出来ない。ただ、こうして自ら広大なサーフボード・ビルドの世界に身を投じたとき、その暗闇を照らす松明となったのは、紛れもなくTappyの背中を見続けたあの日々だった。

なんの準備も計画もないまま動き出した人生のターニングポイントに、力強く背中を押してくれたのは昔の仲間達だ。そんな仲間の支えがあったからこそ、小川徹也はこの険しいサーフボード・ビルダーの道を行く覚悟を決めることができた。渋谷の街を彷徨ったあの頃のことも、サーフィンと出逢った小笠原の日々も、背中に背負った鯉の刺青も、逃げ出したあの日の夜も、シングルフィンにこだわる熱い気持ちも、全部抱えたままここまできた。今回ローンチする5本のボードは、まさしく今現在の小川徹也そのものである。ユーザーはその乗り味の中に、小川徹也の熱い想いを体験することだろう。

小川徹也 TETSUYA OGAWA(AUG 15, 1971)

Instagram @tetsu_cast
日本におけるDEUSの顔役のひとりであり、日本を代表するスタイル・マスター。アウトローなイメージと優雅なクラシック・スタイルが同居する唯一無二のサーフスターが、満を持して、己の生き様を込めたモデルを自らの手で生み出した。サーフボード・ビルダー小川徹也の世界を体感せよ。

文責 | 寺内崇  サーフィン・ジャーナリスト・元NALU 、SURFTRIP Journal編集長
写真 | 清水 亮

 

サーフボード 新規取扱希望・お問い合わせは E-mailにてお問い合わせください。   residence@jp.deuscustoms.com